創志学園法人本部:未来の学校2025Spring特別対談
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会ってきた先生方のおかげだと思っています。それが教員免許を取るきっかけにもなりましたし、教員であればずっと野球に関われるというのも大きな理由でしたね。増田 そうでしたか。実は、プレイヤーと指導者という2つの道を最初から意識していたからこそ教員免許を取られたのかと思っていました。栗山 そういう側面もあったかと思います。ただ、親は指導者よりも教員になるように仕向け、僕は僕で、野球が大好きで野球との接点を持つために、教員の道も考えました。増田 じゃあ、監督がプロになりたいと言った時のご家族の反応はどうだったのですか。栗山 親からは「馬鹿なこと言うな」と言われました。それで母に、3年経ったら必ず教員試験を受けると約束しました。ただ、3年後には試合に出だしていたので特に言われませんでした。増田 では、引退後のセカンドキャリアを意識したのはいつでしたか。栗山な人間が指導者になれるわけがないと思っていました。だから、現役を引退して、次の世界に行こうとしたときに、監督やコーチになるのであれば、その範囲を超えた仕事はしないというルールを自分に課しましたし、とにかく勉強して何とか生き残ることに必死だったっていうのが正直なところです。増田 徹底していますね。逆に今の立場になられて、アスリートのセカンドキャリアについてどうお考えですか。例えば、プロの世界に入って戦力外になってからでいいのか、現役時代にも考えていた方がいいのか。栗山 僕の考えは、選手たちは勉強以上に野球に集中したと思って1967年 静岡県生まれ。早稲田大学大学院修了。設置校の学校長、学長、専務執行役員を経て、2023年4月より学校法人創志学園理事長。SOSHI EDUCATIONAL GROUP  プロに入った時にあまりにも落ちこぼれだったので、僕みたい学校法人創志学園理事長 増田 哲也Tetsuya Masuda05

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